[カイケを動かす人:vol7] 皆生トライアスロンの原点とそれを守り続ける想い。野嶋功さん
インタビュー:皆生トライアスロンの原点と、それを守り続ける想い:野嶋功さん
皆生トライアスロン協会の副競技委員長の野嶋功さんに、皆生トライアスロンの原点と、それを守り続ける想いについて話していただきました。
野嶋さんは、皆生トライアスロンに関わり始めて30年以上。その間、競技者として、運営者として、そして皆生トライアスロン協会の副競技委員長として、皆生トライアスロンの歴史を支えてきた一人です。
皆生トライアスロンの始まり
1981年8月20日、皆生温泉開発60周年記念事業の一環として、国内初のトライアスロン大会が開催された。当時はトライアスロン自体が認知されていなかった時代であり、参加者はわずか53名だったという。
*第一回皆生大会スタート風景(全日本トライアスロン皆生大会HPより)
*第一回皆生大会ゴール風景(全日本トライアスロン皆生大会HPより)
「きっかけは、ひとりの旅館の主人の言葉だったそうです。ハワイでトライなんとかという新しいスポーツが始まったらしい」、という。
そこから情報収集して、人づてに、ハワイで開催されたトライアスロンの大会にチャレンジされた方に話を聞きに行き、アドバイスを受けたそうです。」と野嶋さんは語る。
野嶋さんと皆生トライアスロンの関わり
野嶋さんが、皆生トライアスロンと関わり始めたのは、第6回大会の友人の応援からだった。翌年にはボランティアとして参加するようになり、第8回大会からは競技者としても参加。
*16回皆生大会に出場した時の当時の写真
初めての競技は本当にしんどかったよ。暑いし、疲れるし、でも不思議と楽しかった。何が楽しいかっていうと、やっぱり自分の限界に挑戦できること、そして仲間たちと一緒に頑張ることが楽しかったね。でも、2度とやりたくないってのも思ったよ。(笑)翌年の第9~20回大会も競技者として参加したんだけどね、と笑って話をしてくれた。
第21回大会以降、野嶋さんは競技者としてではなく、運営側で皆生トライアスロンを支えていきます。
守り続ける思いと原動力
鳥取県トライアスロン協会が設立されたのは、1994年の第14回大会の時。
それまでは、協会という組織ではなかった。
オリンピックの種目になるためにも、トライアスロンを盛り上げていこうという流れがあり、全国一律で協会を立ち上げましょうという動きや呼びかけと共に、協会設立に向けて動き出したのだ。
その頃、野嶋さんは、皆生トライアスロンクラブの事務局を務めており、その基盤から鳥取県トライアスロン協会を立ち上げた。
立ち上げる時も、立ち上げた後も苦労はあったと話します。
創り上げた協会を困難があっても、今でもやり続けられている原動力は?と質問すると、”選手たちのために大会の環境を守りたい”という強い信念でした。
「選手たちにとって、大会が開催される場所があるから挑戦ができている。この環境がなくなるのは悲しいことだよ。」と野嶋さんは言います。
また、皆生トライアスロンを開催するということは、多くの方の協力があって成り立っていることも強調します。
「大会の運営スタッフ、当日のボランティア、地元の企業やスポンサー、そしてなにより地域のみなさんのおかげで、安全に楽しいレースが開催できている。」
野嶋さんは、そういった方々に地域貢献という形で恩返ししたいと考えています。
「皆生海遊ビーチの監視やアイラブ中海、ライフセーバークラブなどで活動することで、地域のみなさんに貢献していきたい。」
今後も皆生トライアスロンを守り、地域に貢献していきたいと語ってくれました。
野嶋さんの言葉からは、皆生トライアスロンへの熱い思いと、地域への貢献への想いが伝わってきます。
皆生トライアスロンは、国内初のトライアスロンとして、歴史と伝統のある大会です。その大会を、長年にわたって支えてきた野嶋さん。その熱い思いに触れ、改めて皆生トライアスロンの素晴らしさを実感しました。
皆生トライアスロンは、地域のたくさんの人々の協力があって、成り立っています。これからも、地域のみんなさんと力を合わせて、皆生トライアスロンを守っていきたいです。