故 口田保さんの遺志を継ぐ 〜皆生を頼んだ、その言葉に込められた思い〜
昨年9月、皆生温泉海遊ビーチで長年ライフセーバーとして活躍してきた口田保さんが、この世を去りました。保さんの最後の言葉は、「皆生を頼んだ」…深い愛情と責任感が込められた言葉でした。今回は、長年、保さんの友人であり、同じライフセーバーとして苦楽を共にしてきた皆生ライフセービングクラブ理事長の野嶋功さんにお話を伺い、保さんの思いとその功績を皆さんにお伝えしたいと思います。
海を守る情熱と先進的な取り組み
保さんは、単なるライフセーバーではありませんでした。海の安全に対して常に情熱を注ぎ、常に新しいことに挑戦し続けるパイオニアでした。皆生ライフセービングクラブの設立当初から関わり、地域の人々を守るための先進的な取り組みを積極的に推進しました。特に、ドローンを使った監視活動などは、その最たる例です。野嶋さんも保さんの海を守るために必要な技術やアイデアをどんどん取り入れていました。「その探求心や自分の使命を理解し、それを全うしていた。彼の存在があったからこそ、皆生の海は安全であり続けた」と語ります。
こうした新しい手法を積極的に取り入れることで、海の安全性を大きく向上させたのです。
続けて、野嶋さんは、その姿勢をこう語ります。「保は常に新しいことに挑戦する男だった。彼の熱意は、海を守るだけでなく、地域の人々とつながり、共に海を楽しむという、広い意味での『安全』を追求していた」。
保さんが目指したのは、海と人との繋がりを深め、地域の方々や観光で来られた方が安心して海を楽しめる環境づくりに貢献し、その功績は計り知れません。
保さんと野嶋さんは、ライフセーバーの先進国であるオーストラリアにも共に勉強に赴きました。オーストラリアで得た知識や技術は、活動に大きな影響を与えました。そこで学んだライフセービングの方法論を日本に持ち帰り、皆生温泉海遊ビーチで実践しました。その知識を基盤として、地域に根差したライフセービングクラブを目指し、安全を確保するためのシステムを構築し、活動に新たな風を吹き込んだのです。
頑固者でありながら温厚な「昭和の男」
野嶋さんは、保さんの人柄についてこう語ります。「彼は頑固者で、まさに昭和の男だった。しかし、その頑固さは、海や人々を守るという強い信念から来るものだったんです」。また、一方で温厚な面もあり、信念を持ちながらも周囲と協調し、心を通わせることができた保さんの人柄が、仲間たちから信頼された理由でもありました。
「妙に馬が合ったんだよね」と野嶋さんは懐かしそうに微笑みます。お二人の時間には、笑いあり、苦労ありの充実したものだったに違いありません。
父の遺志を継ぐ若きライフセーバー
保さんの息子、口田斗哉さん(21歳)も、父の姿を継いでライフセーバーとして皆生の海を守る一員となりました。
斗哉さんは、幼い頃から父親の背中を見て育ち、その影響でライフセーバーを志しました。現在21歳、関東の大学に通いながら毎年夏休みを利用して皆生温泉海遊ビーチでライフセーバーとして活動しています。
斗哉さんがライフセーバーとしての道を本格的に歩み始めたのは、中学3年生の頃から。高校3年の時には「ベーシック・サーフライフセーバー」の資格を取得し、父親と共に海の安全を守ることを目指していました。しかし、父・保さんはすい臓がんにより56歳という若さで逝去。その別れの時、斗哉さんが父から受け取った言葉はただ一言「頼むぞ」でした。
この言葉を胸に、斗哉さんは前を向き、心理学や言語学を学ぶことでライフセーバーとしてさらに成長するための道を歩んでいます。父が目指した「行動で示すライフセーバー」になることを目標に掲げました。
父が生前に見せてくれた行動が、自分にとって何よりの教えだったと語ります。「言葉だけでなく、行動で目の前で示してくれる父の姿が憧れでした」と。斗哉さんもまた、父と同じくドローンを活用した監視活動に積極的に取り組むため、免許を取得し、ライフセーバーとしての技術を日々磨いています。
父の背中を追いかけるだけでなく、クラブの中で自らが新たな役割を果たすことも目標にしています。「これからは、言われたことをこなすだけでなく、自分で考えて行動するライフセーバーになりたい」と語る姿には、父親譲りの強い責任感と使命感が感じられます。
皆生ライフセービングクラブの野嶋理事長も「斗哉には、父親と同じようにクラブの未来を支えてもらいたい」と期待を寄せています。父・保さんの遺志は、息子を通じて今も皆生の海に息づいています。
斗哉さんが守り続ける皆生の海は、父の残した遺産であり、次世代へとつなぐべき大切なものです。口田保さんの情熱と遺志は、これからも皆生ライフセービングクラブを支え、斗哉さんやクラブメンバーの心の中で生き続けます。
口田保さんの情熱と遺志は、息子斗哉さんだけでなく、皆生ライフセービングクラブの多くのメンバーに引き継がれています。
保さんの遺した「皆生を頼んだ」という言葉は、守り抜いた皆生温泉海遊ビーチへの深い愛情と、その安全を未来へつなげてほしいという強い願いの表れだったのかもしれません。そして、その思いは今、若い世代に確実に受け継がれています。これからも、皆生の海はメンバーの手によって守られ、地域の人々と共にその美しさと安全が保たれていくことでしょう。
口田保さんの遺志を継いだ斗哉さんをはじめ、皆生ライフセービングクラブのメンバーは、思いを胸に、皆生の海の安全を守り続けていきます。